セルフライナーノーツVol.4「永遠に」

5thアルバム「Evergreen~永遠に~」の4曲目、今回のアルバムのリード曲でもある「永遠に」。
詩篇のみならず、聖書全体を通してもとても有名な箇所です。
この箇所から作られた歌も、多分世界中にたくさんあるんじゃないでしょうか?
ゴスペルクワイアでよく歌われるKurt Carrの「My Shephered」。
Migiwaの「主は私の羊飼い」。
ビョン・ホギルさんの「詩篇23篇」。
すぐに思いつくだけでもこんなに。
だからこそ、私も自分なりの詩篇23篇を歌おうと思ったんです。

♪Your LOVE will follow me
All of the days of my life

この箇所の一番最後の節にある、
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」
この部分が私の心に深く響いている言葉です。
さらっと読んでしまうと、このことがいかに驚くべき恵みであるかを味わえずに通り過ぎてしまいます。
実際小さな頃から、よくここを暗記させられたりして、深く考えずに受け取っていた自分がいました。
(教会学校でよくやる暗唱聖句のデメリットだったりして!?なんて人のせいにしてごめんなさい)

私には少しひねくれたところがあって、多くの人が「良い」「面白い」と思うものをどこか冷めた目で見てしまうことがあります。
いま話題の「ポケモンGO」がいい例。
私は浮気しない!とか思いながらひたすらTwo Dotsで点と点をつないでいます。
結局ゲームはやるんですけどね笑

詩篇23篇も、実は私にとって長いことそういう対象の箇所でした。
(完全に聖書の読み方を間違ってますが^^;)

ある時、「私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう」この部分からのメッセージを聞く機会がありました。
追ってくるっていうのはどういう状況なんでしょうか。
逃げるから追われるのであって、私が、神様なんかいらないよ!と言って逃げていても、神様は私を愛そうと、祝福を与えようと、ずっと追いかけてきてくれるというんですね。
しかも、いのちの日の限り。
私が死ぬときまで。
それどころか、このいのちが尽きたあとも、いつまでも、変わることなく、永遠に。

「永遠(えいえん、とわ)とは、物事の変化を認識するための概念である時間に対し、変化しないものの概念であり、常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、不変のものを言う。また、時間が有限であるのに対し、永遠であるということは無限であるということでもある。」
from Wikipedia。

改めてこの箇所に向き合ったとき、この驚くべき無限の恵み、受けるに値しないのに与えられる愛の大きさが私の心にぐっと迫ってきました。

4節にあるように、「死の陰の谷」のような恐ろしい場所を通らざるを得ないときがある。
それが私たちのこの地上で歩む人生というものですよね。
でも、羊のようにすぐに方向を誤り弱く倒れてしまう私を、常に養い育て、守り、生かしてくださる神様が羊飼いとしていつも共にいてくださる。
目には見えないけど。
だから、何が起こってもきっと恐れずに前に進んでいくことができます。
このことを、私は心から信じています。
私のクリスチャンとしてのモチベーション、という言い方がいいのか悪いのか分かりませんが、なんでクリスチャンやってるの?その答えがきっとこれなんですね。

♪あなたの側で生きる喜び
命尽きてもなお 永遠に
You’re my Shephered

evergreen_jk

ちなみにアルバムジャケットのグリーンは、この詩篇23篇にある「緑の牧場」をイメージしてます。
聖書の舞台での牧場は、一年のほとんどが茶色。だからこその「緑の牧場」の大切さ、有難さ。なんですよね。

詩篇23篇
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

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